2017年8月30日水曜日

市場で見かけた小さなイノベーション

カカオツアーでインドネシア・西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県に滞在していた際、ツアー参加者と一緒に地元の市場を訪問しました。

市場を訪問するのは、参加者に、カカオのことだけでなく、カカオを生産する地域の経済活動の一端を見ていただき、地域経済全体の中でのカカオの位置付けを認識してもらいたい、という密かな狙いがありました。

訪問したのは、ウォノムルヨ市場。この市場は、言ってみれば、ポレワリ・マンダール県の経済活動の中心地なのですが、地元のマンダール族に加えて、ジャワ族が中心を担っています。

ウォノムルヨ地区はジャワ族が多く住んでいるのですが、彼らの先祖は、オランダ植民地時代からこの地へ移住してきました。飛び地のように、このウォノムルヨ地区にジャワ族が集中して住んでいます。

この市場で、今回、ハッとする光景を目にしました。


何の変哲もないような、地べたに置かれた品物。でも、よく見ると、一つの塊の中に幾つかの品物が積み重ねられています。

塊の中にあるのは、洗剤、石鹸、蚊取り線香など。この塊一つをセットとして販売しているのです。

私もこれまでインドネシアの様々な市場を歩いてきましたが、このように、塊をセットとして売っているのを見たのは初めてでした。

ただそれだけのことなのですが、これもまた、市場で売る商人の工夫といってよいのではないかと思います。これまで、個々に品物を購入してきた人々が、セットでも買えるだけの購買力を持ち始めた証左と見ることもできるでしょう。

また、この売り方は、通常の店ではなかなか難しく、地べたに品物を広げて売るからこそできる売り方、ということもできます。

市場で見かけた小さなイノベーション。そんな小さな変化の中に、インドネシアの社会が確実に変化している様子がうかがえます。

2017年8月28日月曜日

マンダール地方のローカル・バドミントン「レディ・パパン」

今回、カカオツアーで訪問した西スラウェシ州はマンダール族の世界です。

マンダール族は、南スラウェシ州出身のマカッサル族やブギス族、トラジャ族と並ぶ、スラウェシ島南部の有力種族です。とくに、世界一速いと言われる帆船「サンデック」を操り、巧みに漁を行う海の民としても知られてきました(サンデックについては、別途、触れてみたいと思います)。

このマンダール地方で盛んに行われているスポーツが「レディ・パパン」という、バドミントンの一種です。しかも、インドネシア中で、レディ・パパンが行われているのは、なぜか、このマンダール地方だけなのです。

今回のツアー中、参加者と歩いていた村の中で、レディ・パパンをしている若者を見かけました。


手に持っているのは、バドミントンのラケットではなく、羽子板のような木製のラケットです。この木製のラケットで、バドミントン用のシャトルを打ち合うのが、レディ・パパンです。

2017年8月27日日曜日

カカオツアーから帰国しました

8月20〜27日、ダリケー株式会社主催のカカオツアー2017のお手伝いを終えて、27日朝、帰国しました。

ツアー中は、通訳兼コーディネーターとして、総勢55名のツアー参加者+スタッフと様々なアクティビティを行いました。

今回の参加者は、高校生や大学生のほか、チョコレート愛好家、会社役員、大学教授など、バラエティに飛んだメンバーでしたが、年齢や立場を超え、互いに自分を高め合う、素敵な仲間となることができました。

カカオの生産者とチョコレートの消費者とを結ぶこのツアー。生産者と消費者との信頼は、国境など軽く超えていくことができるのではないか、という確信を強くしました。

現場を見ることの重要性とともに、日本人とインドネシア人が信頼し合うとはどういうことなのかを全身で感じてもらえたのではないかと思います。


たとえば、地元の小学校で、参加者は、小学生と一緒に、カカオ豆からチョコレートを作る小さなワークショップを行いました。

地元のカカオで生まれて初めてチョコを作った小学生たちは、「また自分でチョコを作ってみたい」と目を輝かせました。そこには、これまでカカオ豆を作るだけだった生産地で何かが変わる兆しがありました。

一緒に、共に。これがキーワードだったと思います。

ツアーへの参加前と後とで、人生観が変わった、とまで言い切った参加者もいました。それはなぜなのでしょうか。

百聞は一見に如かず。ぜひ、来年、このツアーにご参加ください。カカオツアー、という枠を軽く超えてしまうかもしれません。



2017年8月22日火曜日

よりどりインドネシア第4号発行

昨日(8/21)、インドネシアの西スラウェシ州ポレワリに着きました。今年も、カカオツアーのお手伝いに来ています。8/27に帰国します。

カカオツアーの最中ではありますが、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア第4号」を発行しましたので、お知らせいたします。

今回は、カソワミ、カーニバル、海の高速と我らの家、そして、よりどり情報サーチ法の4本です。

東南スラウェシ州ワカトビ列島のカレドゥパ島で以前、カソワミを食べました。どんな食べ物なのでしょうか。

娯楽が少ないと言われたインドネシアで、カーニバルを活かしたまちおこしが広まりつつあります。それは、東ジャワ州の小さな地方都市ジュンブルから始まりました。

国内物流コストを下げるための「海の高速」と「我らの家」、いったいどんなものなのでしょうか。少し解説しました。

中央統計庁とインドネシア銀行のサイトで統計情報を探す方法をお教えします。

現在、会員募集中です。毎月7・22日に発行。日本ではあまり報道されない様々な地方のインドネシア、違った視点からのインドネシアの話題を提供中です。お楽しみに!

いくつものインドネシアへ。ぜひ、読者登録(会員登録)のうえ、全文をご高覧ください。

2017年8月19日土曜日

今週は福島、来週はスラウェシ

久々の投稿となってしまいました。

8月15〜17日は、妻と一緒に福島へ行っていました。

まずは、実家の母や弟たちと一緒に、亡き父の墓参りへ行きました。

翌日は、盆休み中の弟と妻と一緒に私のオフィスへ行きましたが、床が汚れていると言って、さっそく掃除。ホームセンターで必要な備品を買い物した後、オフィス入口の床板が腐食していたので、応急措置をしました。


オフィスと同じ敷地内にある、雨上がりの古民家。古民家のオーナーに挨拶し、妻を紹介して、しばし歓談しました。

8月15〜16日は盆休みの弟が、そして17日は弟の嫁が我々の相手をしてくれました。

実家に帰る途中で、季節も終わりかけの桃「あかつき」を箱買いして、実家で食べました。もちろん、硬くて甘い桃でした。


福島から東京へ戻り、18日は都内でなかなか有意義な会議を終え、明日20日からは、ダリケー株式会社による、インドネシア・スラウェシへのカカオ農園ツアーのお手伝いに行ってきます。

帰国は27日。今年はどんなツアーになるか、どんな面白い方々とお会いできるか、楽しみです。

2017年8月14日月曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(3)

今回の長野への旅の番外編は、乗り物、バスと鉄道です。

志賀高原で便利だったのは路線バスでした。蓮池を中心に、白根火山方面と奥志賀高原方面へ、日中で1時間ないし1時間半おきに路線バスが来るので、一つの場所でゆっくり回ることができました。

重宝したのは、「志賀高原得トクキップ フリー1日乗車券」です。サンバレーから志賀高原内の白根火山方面と奥志賀高原方面への路線バス停留所を自由に乗り降りできて、1日1000円。蓮池から白根火山まで1050円、蓮池から奥志賀高原まで890円、すぐに元が取れてしまいます。

今回は8月9日に利用したのですが、奥志賀高原まで乗ったので、フリー乗車券でない場合と比べて2分の1以下の運賃で済んでしまいました。

バスといえば、長野駅東口から志賀高原へ直行する急行バスも便利です。蓮池停留所に停まっていた急行バスの車体には、「えのたんとキノコフレンズ」が描かれていて、台湾から来た女の子二人連れが盛んに写真を撮っていました。


2017年8月13日日曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(2)

7〜9日は志賀高原で過ごしました。

志賀高原というと、私にはとてもまぶしい雰囲気の場所でした。バブル全盛だった大学生時代、学生たちの多くは、夏はテニス、冬はスキー、と判で押したように男女伴って出かけ、大いに遊んでいました。その行き先として脚光を浴びていたのが志賀高原でした。

大勢と同じことをしたくない自分は、テニスもスキーもせず、しかも浮いた話にも興味がなく、男同士で歌う男声合唱のサークルに所属していました。そのため、志賀高原というのは、自分にとってはまぶしく、世界の違う場所と感じていたのでした。

それ以前、小学生の頃、群馬の親戚のおじさんに誘われて、草津から何度か志賀高原へドライブに連れて行ってもらったことはありました。その時の印象も、人気のある観光地だな、という程度のものでした。

今回も、そんな賑やかできらびやかな志賀高原を想像して行ったのですが・・・。

それは、昭和の志賀高原でした。平成の志賀高原は、違う印象の場所になっていました。

志賀高原行きのバスに乗るため、まず長野駅東口へ行きました。でも、一通り見渡しても、駅には、志賀高原に関するポスターやパンフが見当たりません。

東口の土産物店「科の木」なら何かあるだろうと思って、行ってみました。志賀高原に関するものは何もありませんでした。「科の木」はアルピコグループが経営していて、同グループのバスの行先である信濃大町や黒部アルペンルートの情報パンフは置いてありましたが・・・。

新幹線ができてからは、中央線・大糸線経由で松本や大町からアクセスするのではなく、新幹線で長野まで来て、バスで大町や黒部へ向かうようになったことを理解しました。

長野駅東口から志賀高原への急行バスを運行しているのは長野電鉄です。スキーシーズンの冬季は本数が多いのでしょうが、夏季の本数は1日数本。

私たちが乗った10時15分発の白根火山行き(通行止のため渋峠までしか行きませんでしたが)のバスの乗客は、我々2人以外は外国人客8人。しかも、我々以外の全員が途中のスノーモンキーパーク前で降りて行きました。そうか、彼らの目当てはニホンザルだったのか。

ニホンザル目当ての外国人が降りた後の乗客は、我々2人だけ。そのまま目的地の蓮池まで行きました。バスを降りた目の前、旧蓮池ホテルが解体されているところでした。


それにしても、人がいません。台風が来ているし、旧盆の少し前ということもあるのかもしれません。実際、今回の行程は、どこへ行っても我々2人の貸切状態でした。

2017年8月10日木曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(1)

夏休みと宣言して、8月6〜9日、妻と二人で長野市と志賀高原へ行ってきました。娘がちょうど長期で不在となっているこの時期、本当に久しぶりに、東京の自宅を離れて、二人で旅に出ました。

とにかく、涼しいところへ行きたい!という妻のリクエストもあり、東北海道なども検討したのですが、最終的には、志賀高原へ行くことにしたのでした。

個人的には、本当は、久々に香港か台湾へ行って、存分に食べまくりたかったのですが・・・。涼しいところが優先、でした。

6日は長野市で1泊。その目的は、ここでした。


長野駅前のちょっと路地を入ったところにある映画館「長野千石劇場」。東京で観そびれた香港映画「コール・オブ・ヒーローズ」を観るためでした。

2017年8月8日火曜日

よりどりインドネシア第3号発刊+夏休み

8月7日付で、インドネシアに関する情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第3号を発刊しました。下記のサイトから、ぜひ、読者登録(会員登録)のうえ、ご一読いただければ幸いです。

 よりどりインドネシア第3号

今回取り上げた内容(概要)は、以下のとおりです。

▼インドネシアの国民食インドミーがナイジェリアでも国民食扱いされていることをご存知ですか。アフリカの人々に即席麺文化を植え付けたインドミーのお話です。
→「インドミーはなぜナイジェリアで成功できたのか」

▼このところ塩の値段が急騰しています。不足を輸入で埋めたいのですが、輸入ができないある事情がありました。
→「塩価格が急騰している背景」

▼ロンボク島在住の岡本みどりさんによる連載「ロンボクだより」が始まりました。現地生活者の視点でロンボク島で見聞きする出来事を描いていただきます。
→「ロンボクだより(1)’ゆったりのんびり’に腹が立ったときの特効薬(岡本みどり)」

▼古建築再生は日本だけではありません。スマランのコタ・ラマはその意味でも興味深い事例です。
→「スマランの古い町並み『コタ・ラマ』が面白い」

▼インドネシアの食事がみんな脂っこいと思っていませんか。今回はヘルシーフード「パペダ」をご紹介します。
→「ジャヤプラで食べたパペダとは」

このところ、バタバタしていて、ブログ更新ができずにおりました。ご容赦ください。

なお、8月6〜12日ごろまで夏休みとさせていただきます。この文章も、インターネット接続がよくない日本国内の某所で書いております。台風の影響と思われる雨や風の音がゴーゴーと聞こえてきます(どこにいると思いますか?)。

2017年8月1日火曜日

インドネシアの大学の先生方を福島へ

8月1日、インドネシアのマラン・ムハマディヤ大学の先生方5人を福島市へお連れしました。朝、羽田に到着し、そのまま東京駅から新幹線で福島へ来ました。

今回の訪問は、今年4月に私が同大学でゲスト講義を行なった際に話が出ていたもので、福島をテーマとした新しいプログラムを立ち上げる可能性を探るための来訪です。

福島駅近くのホテルへ到着。でも午後3時までチェックできず、一息入れる間もなく、ホテルのカフェでそのままミーティングへ。でも、今回の福島訪問では、実は、このミーティングが一番重要だったのでした。