2018年3月29日木曜日

奥会津をまわりながら考えたこと

先週、奥会津の只見、金山、三島、柳津とまわりましたが、それぞれに個性が違っていて、とても興味深いものがありました。

東京23区よりも広い面積の只見町は、「自然首都」と宣言し、ユネスコエコパークの認証を得て、全国有数規模のブナの原生林をも生かしたまちづくりを進めています。

只見ブナセンターが運営する「ただみ・ブナと水のミュージアム」(下写真)は、只見の自然を理解するのにとても有用な場所で、展示もなかなか見ごたえのあるものでした。なかでも、熊などの狩猟具や昆虫標本、生活民具などの展示は本当に充実していました。


金山町は、天然炭酸水が湧き出す町で、全国有数の炭酸泉の温泉がいくつもあります。この炭酸水は瓶詰めにして売られていて、飲むと微炭酸のとても美味しいものでした。今回は行けませんでしたが、大塩地区には炭酸水が湧き出す井戸があり、そこで汲んだ炭酸水の美味しさは言葉にできないほどだそうです。


三島町の中心にある会津宮下駅を降りると、下のようなボードがありました。


2017年12月以来の外国人観光客がつけたシールですが、台湾からの観光客が圧倒的に多く、その次が香港、そしてタイが続きます。こんなに来ているんですよ!びっくりです。

三島町宮下地区では、町おこしの一環として、屋号サインボード・プロジェクトが行われ、町並み保存に貢献しています。


会津宮下駅のすぐそばには、宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩の文面を題材にした壁面アートも。


三島町では、「山村社会に革命を。人とものが集まる拠点が福島県三島町にOPEN」と題するReady Forのクラウドファンディングを行っているSAMPSON株式会社の佐藤綾乃さんに会いに行きました。私も少額ながら協力したのですが、どんな人がやっているのか、一度、会ってみたかったのです。


まだ準備中でしたが、とても素敵な空間を製作中でした。そもそも、近所の知り合いの高齢の農家さんが農作物を作りすぎて、多くを捨ててダメにしているのが忍びなく、その有効活用を考えたかったという話から始まり、地元のおじいさんやおばあさん、若者、よそ者などがゆるく集まれる場作りへ発展していった様子。

地域おこし協力隊員としての任期を終えた後、三島町に残って、しっかりじっくりと活動していく彼女をますます応援したくなりました。

そして、三島町でどうしても会いたかった人がもう一人。アポなしダメもとで、向かったのは奥会津書房。奥会津で地道に良質な出版活動を行っている出版社です。15年以上前、「会津学」シリーズで知った出版社は、素敵な三角屋根の建物にありました。


お会いしたかったのは、奥会津書房の遠藤由美子さん。突然の訪問にもかかわらず、お時間を作っていただき、色々とじっくりお話をうかがうことができました。お話を聞きながら、奥会津の人々の生活とインバウンド観光とが違う次元で進んでいるような感じを持ちました。

遠藤さんは、これまでに様々な聞き書き活動を通じて、奥会津の人々が継承してきた生活文化や伝統技術を書き残してきましたが、近年は、子供たちによる祖父母からの聞き書きに力を入れていらっしゃいます。その聞き書きは通常の大人による聞き書きとはずいぶん違う効果をもたらすと言います。

すなわち、その聞き書きを通じて、地域を継承してきた祖父母に対する子供たちの尊敬や敬愛の気持ちが強まってくるのです。おそらく、それがまた、地域を大事に思い、それを次の世代が継承していく力になっていくのだと思います。

ところが、遠藤さんは最近、この子供たちによる聞き書きの中に見られる変化に危機感を抱いているとおっしゃいます。すなわち、祖父母への聞き書きを通じて、昔と今との比較、その事実の理解で終わってしまい、かつてのような聞き書きを通じた祖父母への尊敬や敬愛の気持ちが見られなくなってしまった、というのです。

それは子供たちの変化というよりも、子供たちへ聞き書きを促す学校の先生や親たちの態度に基づくものではないか、という話でした。大人の問題ではないか、というのです。

何かを行うときに、机上で想定できる範囲内で目標を達成できればそれでよい、ということなのでしょうか。机上では想定できなかった、むしろその想定自体を根幹から問い直すような展開にさえなることを許容できない、ということなのか。


遠藤さんと別れた後、そんなことを考えながら、中心街を無効に見ながら、只見川沿いの道を歩いて行きました。

もう一度中心街へ戻る前に、中心街側の対岸へ渡る橋の近くにある小さなカフェ「ハシノハシ」に立ち寄りました。温かいはちみつラテをいただきました。おいしい!


この店を経営する方は、よそから来た方かと思いきや、地元の若い女性で、夜になると、地元の顔なじみのおじさんたちがお酒を飲んだりもするそうです。

彼女もまた、地元の人たちがふらっと集まれる場所を作りたかったとのこと。前述のSAMPSON株式会社の佐藤綾乃さんとはお友達だそうです。学校時代の友人たちは皆他所へ通勤していて、ここには昼間は地元の人はあまりいないそうです。そのため、三島町によそからきた佐藤さんらとのつながりのほうが今は身近に感じているのだとか。

こうやって、三島町でも、ふらっと訪れるよそ者が、自然に地元の方々と交われる場所を作る動きがいくつか見られましたが、これまで訪れたいくつもの日本の地域で、同様の動きがありました。素敵な場所が全国の地域に続々と出現しているように感じます。

只見、金山、三島とまわってきて、それぞれ程度や状況の差はあるにせよ、よそ者やUターン組が静かに地域で根を張り始めている様子がうかがえました。そこで求められているのは、地元と外だけでなく、地元の中でも、関係人口や交流人口、というよりも、人々の関係や交流の機会をどう作り、それをどう広げていくか、ということのように思えました。

誰かが誰かを助ける、という、ともすると上から目線になりがちな関係ではなく、互いが互いの存在を認め、尊敬し合い、信頼し合い、その互いに認められているという関係づくりから、様々なモノやコトが、それに関わる方々の波長やペースに応じて生まれてくる。その基底には、奥会津の地域を継承してきた人々の分厚い生活文化や民族技術の蓄積があることを認識する。

実はただただ当たり前な、そんなことが、奥会津では自然と可能な状況になっているのではないか、と思いました。でもそれは、今の組織や都会のなかでは、なかなか感じられない、作れない状況になっているのではないか。そんな気がします。

そんな奥会津でも、役場などで働いている若者で、精神的にまいってしまう者が意外に多いという話も聞きました。地方創生といった名の下に、行政で上から降ってくる仕事の処理が間に合わないからのようです。彼らの地元への思いが自分を殺すことにならなければ良いのですが。彼らは地元にとって大事な人材だからです。

こうしたことを感じ入りながら、会津柳津の花ホテル滝のやで、「グローカルに奥会津・只見線を考える」という講演を行いました。どんな講演だったのか、ご興味のある方は、以下のサイトでご視聴可能です。

 グローカルに奥会津・只見線を考える

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